31『ベルヌ氏の夢の続き』

 これからは、夢の中だけで旅行するよ。
そういったのは、11歳のジュール・ベルヌ
もちろん、ママンとの約束は守られなかっ
たけれど、ジュール・ベルヌって、とんで
もない奴だったんだ。なにしろ、インドへ
むかう帆船に見習い水夫としてもぐりこん
で、密航しようとしたっていうんだから。
 その訳というのが、ふるってる。おない
年のいとこカロリーヌに、さんごの首飾り
を買ってやりたかったから。あげくのはて
に、19歳でカロリーヌに求婚して、一笑に
ふされてしまうんだから、まったくもって。

 お茶を飲みながら、そんな話になったの
は、たぶんお互いに退屈していたからだ。
フランボワーズのマカロンはおしかった
けれど、おしゃべりで一日を棒にふってし
まう気にはなれなかった。なにしろ、ベル
ナールときたら、ガキの頃いちばんの遊び
がタンタンごっこ。一番好きなシネマ
は、リオの男。そうそう、ベルモンドが走
り回って、ブラジルへ行っちゃう大冒険も
の。
 テレビでしゃべってる奴って、なんだか
腹話術の人形みたいだってことで、意見が
いっしょになった。口だけで生きることだ
けは、したくないよね。「まったく!」バ
スター・キートンみたいに、突っ走ってい
たいもんだ、どんなときも。「まったく!」
 そのうちに、ジュール・ベルヌの小説は、
すばらしくおもしろいということになって、
そりゃあそうだよ、あれは「驚異の旅」っ
てシリーズだったんだぜ、おもしろくない
訳がない。
「フォッグ氏の旅じたく、おぼえてる?」
「スーツケースひとつきり。たしか、毛の
シャツ2枚、靴下3足」

 思い出していたのは、カリブの島のどこ
か、粗末な倉庫みたいなレストランで、ブ
ラジル料理を食べたときのこと。出てきた
のは、塩とコショウとハーブをすり込んで、
こんがり焼いたでっかい豚の助肉(ロース)。
ムシャムシャ頬張っていたら、いきなりド
シャ降りになって、外がいちめん滝みたい
になった。もうどこへも行けないかもしれ
ない、そう思ったら、胸がふるえてきた。
怖いからじゃない、うれしくってだ。
 そういうのが、旅ってもんじゃない?
ホテルの部屋に閉じこもって、DON'T
DISTURBって札をぶらさげたって、ぜん
ぜんワクワクしない。テントの外をハイエ
ナがうろついたり、ベッドの下をでっかい
クモが歩いていたり(おっかない!)、絶
体絶命のピンチがあってこそ旅というもの。

「それで、ベルヌなんだけど、齢をとって
からはつらいことばっかりだった」
「最愛の弟が亡くなってしまう、目が見え
なくなる、耳が聴こえなくなる」
「そんなときに、旅をしたことを思い出し
て、しあわせだったんだろうか?」
「そう思いたいね」

 一ぷう変わった少年は、いつか一ぷう変
わった紳士になって、とんでもないことを
しでかすだろう。そういうことについては、
教師はついにあずかり知らない。ベルヌそ
の人ともいえるフォッグ氏は、八十日間の
とびきりの休暇によって、うつくしい女性
を娶ることになる。しかし、そんなことは
たいしたことじゃないという口ぶりで、一
ぷう変わった人生を讃えるような、不埒な
ことをいう。


 ほんとうに、だれでも、もっと得るもの
がすくなくても、世界一周をするのではな
かろうか?■

29『クラコフのゆうぐれ』

 どうして、捨ててしまったのか。振り返
ってみれば、泡立つ海、遠ざかる島。そん
な気分だった。 友達になれたかもしれな
い奴、歩いたかもしれない路地。手がかり
は、失せてしまった。



 そいつは、正確に4回あらわれた。まず、
坂の途中にいて、チェロを弾いていた。
"カフカの部屋"からの帰り道、だらだら
歩いていて、ばったり出会った。いわゆる
路上の楽士なのだろうが、ねだるそぶりな
んかしなかった。カザルスというよりは、
ジャックリーヌ・デュプレ。いきなり引き
ずり込む、憑かれたような演奏だった。別
れるときに、手にした弓を、ハンカチがわ
りに大きく振った。

 次は、いつだっけ。そうだ、カレル橋の
ふもとのディスコテック。踊らないで、階
段に坐っていた。ロシアの猟犬みたいに、
静かにして、フロアを眺めていた。たっぷ
りと長い髪で、取り巻きもなく。フロアで
は、ぎこちなく狂騒して踊る、プラハの青
年あるいは娘たち。

 また会ったね。

 差し出した文庫本のどこかに、税関で
咎められたように、おずおずと書き込んだ。
見たことのない筆跡で、見たことのない文
字を。名前よりも、住所が気になった。
 
 コレ、なんて読むの?
 ク、ラ、コ、フ


 会わなけりゃいけない奴を見逃したりし
ないように。生まれてこのかた、それだけ
が気がかりだった。一人きりの歩哨、だれ
に頼まれた訳じゃない。しなけりゃいけな
いことは、ほかにはなかったんだ、あいに
く。ほかのことは、うっちゃっておいた。


 それから、次は、ホテルを出てタクシー
に乗って、いざ走り出そうという時。横を
見たら、大きなドタ靴と、チェロが目に入
った。運転手に叫んだ。

 待って、友達がいた!

 降りて、そそくさと抱き合って、そそく
さと別れた。うれしいというよりも、転々
としてきた疲れで、物憂かった。別れると
きには、いつも不機嫌になる。
 ウィーンに戻って、バレエを観たんだっ
け?マラーホフが、手負いの鹿になって、
高く跳んだこと、それしかおぼえていない。
終わってから、通訳をしてくれていたウィ
ーン大学のヴェラも交えて、ホワイトアス
パラと白ワインではじめて、たっぷりとし
た晩飯をとった。それから、どうしたっけ?
風に吹かれながら、広場の方へそぞろ歩き
をしたんじゃなかったか。
 通りすぎようとして、目の端に入ったも
のがある。大きなドタ靴!チェロの足!
ゆっくり見上げてみれば、やっぱり、そう
だ。


 それから、みんなで肩を組んで、もつれ
るようにして坂道を下りて、小さな酒場で
グラスを剣のように刺し違えた。
 あんまり親しくなると、崖っぷちに立っ
ているようで、不安になってくる。それを
紛らわせるには、酔っぱらってしまうしか
ないんだ。
 店を追い出されて、夜更けの路上で、チ
ェロの独奏がはじまった。4,5曲くらい
で、警官がやって来て、命令した。
 どこかへ、行きなさい。


 クラコフは、どんな町だろう。住所を記
した文庫本は、どこかへ捨ててしまったか
ら、もう手掛かりはなくなったかれど、い
つか降り立つことがあるかもしれない。
 駅を下りて、あてもなく歩き回っている
うちに、石造りの家並みから、懐かしい響
きが聞こえてくるんだろうか?そして、さ
もあたりまえみたいにいうんだろうか?

 また、会ったね■

33『焚き火の贈り物』

 そんなふうに丸まってちゃ、貝に
なったみたいで、いけないよ。ナイ
フでこじ開けられてしまう。イヌが
日なたボッコするみたいにしてるこ
とだ。お腹を出して、まいったをす
れば、なんてことはない。そんなふ
うになったら、殴ったりはしない。
恋人を抱きしめるように、ギュッと
抱きしめてくれる。それが嵐のとき
の分別というものさ。一羽のウミツ
バメが、嵐の中をどうして平気でいら
れたのか、ふしぎだとは思わないか?




 モンバルナスの外れに、小さなカフ
ェがあって、そこにいるのは、折れ釘
みたいに背のまがった夫婦なんだが、
ある日いってみるとドアが閉まってる
んだ。どうしたんだろう?なんだか
気になって、次の日もいってみると、
あいかわらず牡蠣みたいに、ぜんたい
閉まりきってる。胸騒ぎがして、メ
モを差し込んでおいたんだ。「どうした
んですか?お電話ください」って、書き
つけて。それからしばらくして、ベ
ルが鳴ったんで出てみると、咳き込み
ながら「ボンジュール」という声。と
ぎれとぎれの話をつなぎあわせると、
カフェの主は手も足も動かなくなって、
病院にいるんだそうな。しゃべってい
るのは、奥さんの方だが、涙声でこう
いうんだ。


 齢をとれば、いずれこうなることは
分かっていましたが、悲しいです。


 モンバルナスの外れにかぎったこと
じゃない。こうしてるときにも、世界
のあちらこちらで、ロウソクの炎がか
き消されるように、そこにさっきまで
あったものが、そそくさと立ち去って
いくところだ。マルチニックのバナナ
農園にいた、石みたいに黙りこくった
老人も、たぶんいなくなっているだろ
う。シチリアの広場でタバコをふかし
ていた、コッポラ帽のおじいちゃんも、
いつのまにか消えてしまって、いつも
の席がからっぽになっているかもしれ
ない。


 あたらしいものにばっかり気をとら
れているけど、古くてなつかしいもの
が、こんなふうにいなくなっている。
そう思うと、居ても立ってもいられな
くなるのは、むりのないこと。まし
て季節は、こんなに寒くなってしまっ
て、ちょっとした暖をとるにも一苦労
だ。アメリカ・インディアンのテワ族
が、12月を「焚き火の月」というの
は、まったくうなずける。拾ってきた
枝を、ティビィみたいに組み上げて、
なんとか火を熾して、やっとこさっと
こ。空には、赤い月。コヨーテのよこ
しまな叫び声、ガラガラヘビのシッポ
が震える音、氷の上にいるみたいな冷
たい大地。そんなときにできることと
いったら、焚き火をかこんで、火をみ
つめることくらい。


 それでもわれわれは出会うだろう
 そして別れ、そしてまた会う
 死したものの出会いの場所は、生き
 るものの唇の上


 まったくのところ、生きているとき
は薪ざっぽう、死んでしまえば一つか
みの灰。でも、いちばんたいせつなの
は生涯のうちの炎のときで、そのこと
を憶えておいてあげなくちゃいけない。
熊がひもじいときに、掌に滲みたハチ
ミツを、くりかえし舐めては、なんと
か飢えをしのぐように。
「新芽が吹きだす月」までは、まだま
だ遠いけれど、とりあえず火を熾して、
焚き火をすることだ。


 いつの日も、生まれるに佳き日であ
り、いつの日も死に赴くのに、佳き日
である。


 無一物であるとしても、贈り物をす
ることはできるんじゃないかな? オ
リーブの実は、枝から落ちることで、
恵みを与えることができるんだから。
まだ娘が小さかったときに、なんにも
プレゼントをあげられない、って泣い
たことがあった。思わず抱きしめたけ
ど、あんな贈り物は、どこにもないし
比べようもない。


 そういう思い出をもらったことを、
しっかり憶えておかなくちゃ。


 ことしのクリスマスだけど、あいに
くあげられるものが一つもないんだ。
すさぶ風の中に立ち往生していて、は
たしてウミツバメみたいに、無事でい
られるかどうか。それでも、きっと、
また会えるよ。その時がきたら、だ
れだったか画家がその友人に、手紙の
さいごに書きつけた一行のように、き
っぱり約束しておこう。


 帰ったら、君に嵐の絵を描いてあげ
よう。

27『シチリアのツバメ』

 計ったように、ちょうど9時。外れかけたバンパーを紐でしばって、泥んこのランチアがやってきた。まっすぐ背をのばしたチコは、鉛の兵隊みたいだ。

 夕べは、タキシードでおめかし。ハチミツをなめる熊のように、鍵盤の上におおいかぶさって、ぶっつづけで4時間ピアノを弾いていた。
 一本だけうごかない指があるのに、そうとは気づかせない。いそしぎが波うちぎわを小走りするように、もつれながら滑らかに。砕けた、くつろいだ、タッチ。サンドメニコ・パレス・ホテルのラウンジの片隅で、大きな背をまるめていた、マエストロ。

 もう、魚には飽きただろうから、こんどは山へつれてってやる。うまいサルチャッチャや、フィノッキオの株や、シチリアの山の恵みを食わせてやる。

 チコが言いたかったのは、そんなとこだろうか。食慾をなくすような講釈なんか、ぜったいにしなかった。飴玉くれるにも、ポケットをさぐって、アレこんなものがあった、という手の込んだことをした。
 それにしても、いいんだろうか、93歳のチコに運転してもらって。
「アンディアーモ!」
 四の五のいってないで、さあ出発するぞ。
こんなときのチコには、とても逆らえるもんじゃない。あどけない天使が、とんでもない悪戯をしかけるんだから、お手上げだ。
 たっぷり風をくらって、山道をうねるように走った。羊飼いに声をかけたり、桑の木をみつけて実を掴んだり、帰郷したオデッセイのようにふるまいながら。
  うまかったかって? いうまでもないさ、とびきりうまかった。 けれど、どうしてだろう、胸がいっぱいになって、それをごまかすのに困った。ごちそうには、幸せがそうであるように、先がないんだってこと。

 それにしても、クルミはどうしたんだろう?あのチコの大きな掌に揉みしだかれ乾いた音をたてていた、中国のクルミ二つ。
 チャイナタウンでみつけた、マグネットの入ったクルミ
「指をうごかしていれば、ボケたりしないから」
 ピアニストにむかって、ずいんぶん失礼なことをほざいたもんだ。それでもよろこんでくれた、愚者の贈り物。
 じゃあ、あのランチアはどうなったんだろう?バンパーがとれかかった、年季の入ったオンボロ車は。ゼイゼイいいながら、獲物にむかって走っていた、老いた猟犬さながらのランチアは。
 オリーブの木はどうなったんだろう?ブドウは、どうなったんだろう?チコの農園で、主の滋養のために実をつけた、けなげな木は。

 エトナは、パイプをふかすように、煙を吐いてるかな。うっすらと霞がかっているけれど、それもやがて消えてなくなって、くっきりと稜線がうかび上がってくるんだ。そうなりゃ、シロッコのかわりに、レバンテが吹きはじめる。
 びっくりするのは、ツバメさ。山と海のあいだに、わきたつように、何千というツバメが飛んでいる。一分一秒を争うんだ。じっとしてなんかいられない。
 もうすぐ、空に穴をあけたような、シチリアの夏だ。