34『チャトウィンの黒い手帖』

 メランコリックなタンタンといった風貌
チャトウィンは、ついこのあいだまで、
あちこちを旅していた。パタゴニア、アフ
リカ、中国、ロシア、インド、チベット
ありとあらゆるところを。モグラみたいな
手触りの黒い手帖に、モンブランの万年筆
で、ひっきりなしにメモをとりながら。み
んながガイドブックを読みふけって、バカ
ンスの計画を立てているときに、クーデタ
ーのアフリカにいて、傭兵じゃないかと疑
われて、マシンガンを突きつけられていた。
まったく、信じられない旅をしていたんだ、
おなじ時代にいながら。


 ひるむことのない船乗りの子だったから、
およそ挫けるということがない。囚われて
いても、壁を這うヤモリをみつめたり、「ブ
ロン牡蠣1ダースと、クリュックのシャン
パン!」と叫んだり。牡牛座の星の下に生
まれたのに、むしろ鹿みたいにスリムで、
なにかにおびえたような目をしていた。
 サザビーズの美術鑑定士の眼識がありな
がら、そういうものじゃない、荒々しいブ
リュット(生)なものを、ずっと探してい
たんだろう。アボリジニの「歌の道」のよ
うな、サバンナを渡る風のような、およそ
手におさまらないもの。チャトウィンのい
うところの「奇跡」。そんなものに憑かれ
たら、レストランでグラスを廻したりなん
かしてられっこない。
 シャルルヴィル中学にいた大柄な、クシ
ャクシャ髪の野生児ランボーは、ジュール・
ヴェルヌの冒険小説を読んでいた。『どう
して僕はこんなところに』というランボー
の自問を、その著書のタイトルにしたチャ
トウィンは、そうなるとヴェルヌの冒険小
説の血筋ということになるだろうか?


とんでもない、途方もない、大通行者ラ
ンボー。なにしろ、徒歩でスイスからイタ
リアへ行ってしまうんだから。まるで「帆
もない、櫂もない」船のように、あてども
なく。いつも腹ペコで、ついには道にぶっ
倒れた。
 まったくもって、手の焼ける、だだっ子!
 ランボーに比べれば、ずっとずっと品行
方正だったチャトウィンは、『ソングライ
ン』について「もったいぶっている」と評
されて、すっかり落ち込んでしまう。たし
かに、そういうところがあるかもしれない。
磨き上げられてしまったことで、荒野の石
ころだったのが、ウインドウに飾られるよ
うな宝石めいてしまった。けれど、そんな
ことは疵にはならない。ノマドというもの
が、いつでも汚れていて、無作法だなんて、
とんでもない偏見というもの。


 旅をしていて、いつなんどき、チャトウ
ィンのような男に会わないともかぎらない。
いや、ひょっとしたら、どこかで遇会して
いたんじゃないだろうか? ロンドンのパ
ブで隣にいたかもしれない。パリのビスト
ロで、ひとり寂しい夕食をとっていたか
もしれない。影のない男のように、ひっそ
りと静かで、これといった特徴もない。せ
いぜい、ごっついヴィヴラム底の靴からし
て、たっぷり歩いていることを窺えるくら
い。
 あのモグラみたいな手触りの黒い手帖に、
せっせとメモを書き込んじゃいないか?
しきりに空を見上げちゃいないか?そし
て、こんなふうに独りごとを口にしやしな
いか?
「明日になれば、風がおさまるかもしれな
い」■