32『メキシコの青空』

なんだってメキシコくんだりまで、行っ
たのかだって?ふうん、そういうことが
気になる訳?じゃあ、教えてあげよう。
からだの羽をぜんぶ毟られたような、情け
ないことになったことがあってね。そうい
うときって、だれがほんとうの友なのか、
分かるものさ。おためごかしのことばなん
て、ちっともうれしくない。そいつは、慰
めたりなんかしなかった。ナイフで小枝を
削りながら、こういったんだ。

 メキシコへ行ってみなよ。八色の虹が懸
かるところがある。

 なんてすてきなことをいうんだろう。
そのことばで、なんだか救われた気がした
ものさ。からまりついてくる魔ものを、す
っぱり斧で断ち切ってくれたんだ。ヒュー
ヒュー(口笛さ)、地の果てまでだって行
ってくるぞ。
 さて、ということでメキシコの土を踏ん
だのはいいけど、西も東もチンプンカンプ
ン。手がかりになるのは、テキーラくらい。
とりあえずテキーラを造っている土地へ行
ってみるっきゃない。なんてったっけなぁ、
こう口をひん曲げて、ドナルドダックみた
いにグワッグッワっていってごらんよ。そ
うだ、それだよ、グアダラハラ

 テキーラ、何から造るか、知ってる?
フ、フ、ちがう、ちがう。答えは「竜舌蘭」。
アロエの化け物みたいなサボテンから、造
るんだ。ついでにいっておくと、ラムは
砂糖黍ってこともおぼえておいて損はない。
ラムを飲(や)りながら、マルチニックの砂糖黍
畑が浮かんできて、ちょっとした旅ができ
ようってもの。
 さて、男たちが大きな鉈を振り回して、
バッサバッサこの竜舌蘭を伐っているのを、
ボーッと眺めてたんだ。いや暑いのなんの、
なんにも考えられない暑さだ。いまままで生
きてきて、およそ三番目に暑かったくらい
の暑さだった。一番目は、だって?だか
らいったでしょ。何にも考えられないって。

 とにかく、空が青い。どのくらい青いか
っていうと、青い空の上にもうひとつ絵の
具の青をぬりたくったくら。そのせいで、
樹でも建物でも、アップリケみたいに貼り
ついてるぐあいだ。ちょうどニワトリがい
たんだけど、それがでっかい恐竜みたいに
見えてきた。真っ赤なトサカ、黄色い蹴爪、
鋭いクチバシには捕まえたばかりのミミズ。
やっぱり、ほんとうなんだよ、トリはもと
は爬虫類だってこと。
 銃があったら、ぜったい撃ってたろう、
ニワトリの頭めがけて。そうでもしないと、
気がヘンになりそうなんだ。そのうちに喉
がカラカラになって、どこかで水を飲まな
くちゃと歩いていたら、坂の途中で馬にの
った男とすれ違った。ヒゲをはやして、口
には葉巻タバコ、帽子を目深にかぶってる。
でも、おかしなことに木で作ったオモチャ
みたいなライフル銃を持ってるんだ。でっ
かいシェパードが、従者みたいにピッタリ
離れないでいるのは、どうしてなんだろ
う?
 そのうちに、なんとか街道までたどりつ
いて、一軒の食堂みたいなところに入った
んだけど、ほんとうは水がほしかったけど、
かっこつけてテキーラ注文したら、テキー
ラにトマトジュースが付いてきた。なるほ
ど、これをチェーサーにしろってか。そし
たら、これがうまいのなんのって。テキー
ラって、水みたいに透きとおってるのに、
火みたいに燃えてる。竜舌蘭のおもかげも
ないし、色を塗りたくったような風景なん
か、これっぽちも思い出せない。
 それからどうしたっていうと、フラフラ
しながら、大きな屋敷の中に入り込んで、
そこにあった噴水の石盤の上に倒れ込んで
しまったという訳さ。冷たい石盤の上に仰
向けになったら、たれ下がって咲いている
赤い花にハチドリがクチバシを突っ込んで
る。そのハチドリの上には、メキシコの青
空。これじゃあ、八色の虹どころか、一滴
だって降りそうにない。■