見知らぬ旅人のように (like a stranger, like a traveller)

サバンナにゆれる草には、名前がない。
たしかに、そうだ。
じゃあ、あれは?
whistling tree 口笛をふく木。
中が、からっぽになっていて、
風が吹くと、ヒューッと口笛をならす木。
ロンサムなのに、へこたれない奴。


うるさい美食家たちから、離れていよう。
「もし、ぼくに味覚があるならば、
それは、
木と石のためでしかない」
  アルチュール・ランボー「錯乱」



NYのイースト・ヴィレッヂでのこと。
カフェに入って、サンブッカを注文した。
3粒のコーヒー豆が浮いていて、それは、
まったくもって、ハエみたいだった。
わざと、汚らわしくする酒。
お上品ぶらずに、
ハエのたかったものから、
目をそらすな!


世界を旅行して、
あらゆるものをほりくり、
あらゆるいかす魂を愛し、
あらゆるジャズにいかれ、
すべての最高を経験し、
画一をさけるイカレ女であり猫であり、
バカたちと絶縁し、
自由をほりくり、
世界にむかって
冷静にほえよう。
  テド・ジョーンズ/片桐ユズル


酒場で、みつけた!
旅人の木という名の、マルチニックのラム。
汗ばむ昼下がり、歯のないオトコが、
いくつも角砂糖を沈めて飲んでいた、
あのラム、あの悲しい熱帯の酒。


Catskillの山路を走っているときに、
いきなり飛び出してきた、鹿。
はげしくぶつかって、
逃げようとしたけれど、
腰からくずれおちた。
あの鹿の、あの双つの目。
そこに映っていた、青い空。


リスボンの朝。
木の鎧戸のすきまから、
光がさし込んできたときの、
いいようのない昂奮。
船乗りが、沖に出て、はじめて目をさましたように。
からっぽで、ただ「いま」があるだけ。


brief encounter/つかのまの出会い
アイスクリームみたいなもの?
描き込まずに、
スケッチだけで、
立ち去って行くのが、
旅人のマナーだから。


ボブ・ディランのModern Timesの、
すっかり嗄れてしまった、
けれども、こゝろに沁みる声。
もう老いぼれてしまった、と言いながらも、
still burnin' still yarnin'と、
ぜんぜん挫けていない、口ぶり
老いぼれることを、恐れるより、
燃えなくなることを、恐れなくちゃ。



メキシコのどこか。
オトコたちが、大きな蛮刀で、
竜舌蘭をバサ、バサ、と伐っている。
太陽がふたつあるような烈しい光の下。
そのときだった、
畠の中にある井戸のところに、
白い騾馬があらわれたのは!
エミリオ・サバタの乗っていた、
あの白い馬!

『ドアのむこうに鹿がいる』

ワインズバーグ・オハイオの書いた
シャーウッド・アンダーソンは
会社にいるときに、いきなり立ち上がって
ドアから出ていって失踪する。
こんなコトバをつぶやいてから。
「長いあいだ川のなかを歩いてきたので、
 足がぬれてしまった」


エドワード・ホッパーの家には、
彼のアトリエが手つかずで遺されていて、
床に絵の具がとび散っていた。
まるで、ボロックの絵じゃないか!
口を閉ざした画家の、
なまなましい肉声を


ホッパーに絵をならったのが、
ジョセフ・コーネル。
おなじNyackの生まれ。
ひっそりとした小さな町が生んだ、
光の画家と、箱の藝術家。
窓を開けることに、こだわった二人。


「事物は、変わらない。
変わるのは、われわれだ」
ウオルデン湖のほとりの小屋で、
トネリコの枝でカゴを編むように、
簡素な思索のコトバを紡いだ、
ヘンリー・ソロー。
一徹な老人を思い浮かべていたが、
そのときは強壮な28歳の青年だった。
くちぶえを吹くような
朗らかなキャンプ生活だったのかも?


アメリカにはワインズバーグという町が
無数にあるだろう。
「こんなところを出て行こう」と決意させる
とるに足らないsmall townが。
窓のむこうで
「ひとりぼっちだ」と、
しわがれた声がする町。


底のすり減ったloaferを履いて、
テーブルに分厚い本を置いて、
ハンバーガーをほおばっていたYaleの学生。
簡素な生活、高き想い。
まさに、ソローの衣鉢を継ぐ者。
デザートに、パイをぺロリと平らげた。




アライグマが窓の戸を叩く夜に、
詩人は、こんなふうに書きつける。
「まことに最良のことは
すべて夜におこる」
そして、やがて力つきて、
くすぶる残り火になって眠り込む。


きまぐれに訪れる若い娘に、
独居の詩人は、こんなふうに語りかける。
「ぼくは老いているから、
待つのは平気だ」
ほんとうに裸になるには、
齢をかさねなけりゃいけない。
ほんとうにやさしくなるのにも。


ダイナーにいた少女を描くのに、
フェルメールの手をわずらわせることはない。
ホッパーが、町ごと描いてくれるだろう。
あるいは、ボブ・ディランが唄ってくれる。
名もない、通りすぎる、北国の少女を。


ミズナラの木には、
その幹の中を水が流れているんだ。
そう、つぶやいたので、「エ?」と聞き返した。
分厚いネル地のシャツの背は、振り返ることをしなかった。
ハンティング・ブーツの下で、
枯れた小枝が、ミシッと音を立てて折れた。


隣の煙突からケムリが見えたら、
そのときが引越しのとき。
フロンティアの住民たちは、
空間の広さを神のように敬った。
汝の隣人、それは隔たったところにいる、
抽象的な隣人のことだった。
彼らは、ロンサムであることを
固いパンのように噛みしめた。


クーパーズ・タウンは、
ベースボールの聖地というだけではない。
モヒカン族に属するウイルダネスだった。
そこでは、まず銃が。
それから、トネリコのバットが。
戦いの叫びは消え、
球場の歓声も消え、
ひっそりと静まり返っている。


メープル・シロップを作るのは、
おそろしく手間がかかる。
ミツバチが蜜を作るのに比べて、
なんとも不器用。なんとも苦役。
しかし、開拓者たちは、甘さに恋いこがれた。
苦役によって滴る、混じりけのない甘さ!


フライ竿を振ってみたり、
カヌーを浮かべてみれば、
Learn to be still.という教えが、
難しいことではないと身に沁みる。
ブルーベリーの摘み方、ナイフの使い方、
すべては生活の寸法なのだ。


あまり思いつめないことだ。
川の氷を解かすのは、
春のきまぐれな手(perhaps hand)なのだから。
もちろん、愛を芽生えさせるのだった。





それはちょうど、
その日疲れきって
ちらばったオモチャをどうにも
片付けられない
子供たちのよう――
  エミリー・ディッキンソン


旅に出るときに、友人がプレゼントしてくれたのは、
ただの一行のフレーズ、
さすらい人スナフキンのコトバだった。
「ねえきみたち。ながい旅ってものに必要なのは
大きな鞄じゃなくて、
くちずさめるひとつの唄なんだぜ」
サンキュー!■

『ピーターパンの朝食』

 一羽のウサギが、思い切って、柵をピョ
ンと越えてしまう。そうすると、その後に
他のウサギが柵を越えるのは、ずっとや
さしくなる。たしか、そんな仮説があった。
そういう、むこうみずなウサギの話だ。


 ピーター・ビアードが生まれた年に、あ
アイザック・ディネーセン(カレン・ブ
リクセン)の『アフリカの日々』が刊行さ
れたなんて。アフリカへの想いがバトンタ
ッチされた、そういう巡り合わせだった、
としかいいようがない偶然だ。16歳のとき
にこの本を読んだピーターは、次の年には
アフリカの地を踏んでいるんだから、風を
くらったようにやることが早い。それだけ
じゃない、いのちの火が消えかかっていた
ディネーセンに会って、「二つの突き刺す
ようなまなざしが、二つの突き刺すような
まなざし」を覗き込んだ。アフリカから、
ずっと遠く離れたコペンハーゲンでのこと
だ。


 逢いたい人に、どうして逢いに行かない
んだ? いったい、千年も生きるつもりな
のかい? 人生って、そんなにめんどうく
さいものじゃないよ。ピーター・パン・ビ
アードは、そんなふうにアッサリいうんじ
ゃないかな。
「妖精を信じますか?」なんて、こまっし
ゃくれたセリフのかわりに。
 裏通りの汚いカフェのテーブルに置いて
あったクシャクシャの新聞に、ピーターの
写真がのっていて、犀に刺されて大けがを
したとあった。やられたな、フック船長の
鉤に。ハンサムな顔を歪めていて、まるき
フランシス・ベーコンの描いた肖像画
のものだった。そうか、まだケニアのホグ・
ランチにいるんだ、と古い友人の消息をし
らされたような気がして、ちょっと懐かし
かった。死なないでいてくれて、ほんとう
によかった。

 
 ロングアイランドのサマーキャンプから、
そのままアフリカへ行ったみたいだ、なん
てこともいわれもしたが、それで悪くない
んじゃないかな? ディネーセンでいうよ
うに「この地こそ、自分のいるべき場所」
だというよろこびを、ためらわずに手にし
ただけのこと。バッファローのでっかい角
を飾ったテントでの生活、どんなにか快適
だろうと思う。ちょっとばかりハエがうる
さいかもしれないけど、どうってことない、
すぐに慣れるだろうって。夜になってハイ
エナがうろつくのは、あんまりうれしくな
いけれど。
 ピーター・ビアードの朝食って、とびき
スノッブなものかと思うかもしれないけ
ど、茹で卵とトースト、それにミルク。す
べてが焼き乾いて、素焼きのやきものの色
をしているケニアの高地にいて、いったい
どんなご馳走がいるっていうんだ?
 銀のスプーンをくわえて生まれてきたか
らこそ、そんなことができるんだよ、なん
てことをいわないでほしい。そうじゃない、
彼にあったのはひとつまみの勇気で、金貨
のつまった革袋なんかじゃない。柵のむこ
うに何があるのか、という好奇心。それじ
ゃあ、柵を越えるしかない、というむこう
みずな肝っ玉。
 お茶目なアインシュタイン博士は、「わ
れわれは過去にむかって、電報を打つこと
はできない」っていったけど、いつかそん
なことができるかもしれない。フラミンゴ
のクラブと、ヤマアラシのボールで遊ぶク
リケットみたいに、予測不可能なゲーム。
そういうのが、いちばんおもしろい。


 ピーター・ビアードは、「どうして、ア
フリカなの?」と訊かれると、うんざりし
ながら答えたものだ。


 だって、ゆっくり呼吸ができる。なによ
り、たっぷり隙間があるからさ。■

34『チャトウィンの黒い手帖』

 メランコリックなタンタンといった風貌
チャトウィンは、ついこのあいだまで、
あちこちを旅していた。パタゴニア、アフ
リカ、中国、ロシア、インド、チベット
ありとあらゆるところを。モグラみたいな
手触りの黒い手帖に、モンブランの万年筆
で、ひっきりなしにメモをとりながら。み
んながガイドブックを読みふけって、バカ
ンスの計画を立てているときに、クーデタ
ーのアフリカにいて、傭兵じゃないかと疑
われて、マシンガンを突きつけられていた。
まったく、信じられない旅をしていたんだ、
おなじ時代にいながら。


 ひるむことのない船乗りの子だったから、
およそ挫けるということがない。囚われて
いても、壁を這うヤモリをみつめたり、「ブ
ロン牡蠣1ダースと、クリュックのシャン
パン!」と叫んだり。牡牛座の星の下に生
まれたのに、むしろ鹿みたいにスリムで、
なにかにおびえたような目をしていた。
 サザビーズの美術鑑定士の眼識がありな
がら、そういうものじゃない、荒々しいブ
リュット(生)なものを、ずっと探してい
たんだろう。アボリジニの「歌の道」のよ
うな、サバンナを渡る風のような、およそ
手におさまらないもの。チャトウィンのい
うところの「奇跡」。そんなものに憑かれ
たら、レストランでグラスを廻したりなん
かしてられっこない。
 シャルルヴィル中学にいた大柄な、クシ
ャクシャ髪の野生児ランボーは、ジュール・
ヴェルヌの冒険小説を読んでいた。『どう
して僕はこんなところに』というランボー
の自問を、その著書のタイトルにしたチャ
トウィンは、そうなるとヴェルヌの冒険小
説の血筋ということになるだろうか?


とんでもない、途方もない、大通行者ラ
ンボー。なにしろ、徒歩でスイスからイタ
リアへ行ってしまうんだから。まるで「帆
もない、櫂もない」船のように、あてども
なく。いつも腹ペコで、ついには道にぶっ
倒れた。
 まったくもって、手の焼ける、だだっ子!
 ランボーに比べれば、ずっとずっと品行
方正だったチャトウィンは、『ソングライ
ン』について「もったいぶっている」と評
されて、すっかり落ち込んでしまう。たし
かに、そういうところがあるかもしれない。
磨き上げられてしまったことで、荒野の石
ころだったのが、ウインドウに飾られるよ
うな宝石めいてしまった。けれど、そんな
ことは疵にはならない。ノマドというもの
が、いつでも汚れていて、無作法だなんて、
とんでもない偏見というもの。


 旅をしていて、いつなんどき、チャトウ
ィンのような男に会わないともかぎらない。
いや、ひょっとしたら、どこかで遇会して
いたんじゃないだろうか? ロンドンのパ
ブで隣にいたかもしれない。パリのビスト
ロで、ひとり寂しい夕食をとっていたか
もしれない。影のない男のように、ひっそ
りと静かで、これといった特徴もない。せ
いぜい、ごっついヴィヴラム底の靴からし
て、たっぷり歩いていることを窺えるくら
い。
 あのモグラみたいな手触りの黒い手帖に、
せっせとメモを書き込んじゃいないか?
しきりに空を見上げちゃいないか?そし
て、こんなふうに独りごとを口にしやしな
いか?
「明日になれば、風がおさまるかもしれな
い」■

「団塊パンチ」

ご存知グーグルにブック検索というきわめてマイナーなサービスがあるのですが、
そこで試しにダメもとで「佐伯誠」を検索してみたら一件のhitが。
団塊パンチ1

2006年発行の、おそらくは雑誌でしょう。ちょっと厚めの。
こういうのなんというんでしたっけ?ムック?
で、このブック検索、実は「プレビュー」で本の一部が立ち読みできちゃうのが良いところ。
佐伯さんの文章も192ページに載ってますが、おしいことに前半部分が切れちゃって読めません。

 うーん、どうしたらいいのかなぁ。

で、かすかな望みをかけてAmazonで検索かけてみたらば・・・
おや、まだ在庫あるじゃないですか。

 しかも、寺山修司のあの「力石徹よ」まで収録されてるし。


しかし、ホントに色んなとこで書いてらっしゃるんですねぇ・・・。

 32『メキシコの青空』

なんだってメキシコくんだりまで、行っ
たのかだって?ふうん、そういうことが
気になる訳?じゃあ、教えてあげよう。
からだの羽をぜんぶ毟られたような、情け
ないことになったことがあってね。そうい
うときって、だれがほんとうの友なのか、
分かるものさ。おためごかしのことばなん
て、ちっともうれしくない。そいつは、慰
めたりなんかしなかった。ナイフで小枝を
削りながら、こういったんだ。

 メキシコへ行ってみなよ。八色の虹が懸
かるところがある。

 なんてすてきなことをいうんだろう。
そのことばで、なんだか救われた気がした
ものさ。からまりついてくる魔ものを、す
っぱり斧で断ち切ってくれたんだ。ヒュー
ヒュー(口笛さ)、地の果てまでだって行
ってくるぞ。
 さて、ということでメキシコの土を踏ん
だのはいいけど、西も東もチンプンカンプ
ン。手がかりになるのは、テキーラくらい。
とりあえずテキーラを造っている土地へ行
ってみるっきゃない。なんてったっけなぁ、
こう口をひん曲げて、ドナルドダックみた
いにグワッグッワっていってごらんよ。そ
うだ、それだよ、グアダラハラ

 テキーラ、何から造るか、知ってる?
フ、フ、ちがう、ちがう。答えは「竜舌蘭」。
アロエの化け物みたいなサボテンから、造
るんだ。ついでにいっておくと、ラムは
砂糖黍ってこともおぼえておいて損はない。
ラムを飲(や)りながら、マルチニックの砂糖黍
畑が浮かんできて、ちょっとした旅ができ
ようってもの。
 さて、男たちが大きな鉈を振り回して、
バッサバッサこの竜舌蘭を伐っているのを、
ボーッと眺めてたんだ。いや暑いのなんの、
なんにも考えられない暑さだ。いまままで生
きてきて、およそ三番目に暑かったくらい
の暑さだった。一番目は、だって?だか
らいったでしょ。何にも考えられないって。

 とにかく、空が青い。どのくらい青いか
っていうと、青い空の上にもうひとつ絵の
具の青をぬりたくったくら。そのせいで、
樹でも建物でも、アップリケみたいに貼り
ついてるぐあいだ。ちょうどニワトリがい
たんだけど、それがでっかい恐竜みたいに
見えてきた。真っ赤なトサカ、黄色い蹴爪、
鋭いクチバシには捕まえたばかりのミミズ。
やっぱり、ほんとうなんだよ、トリはもと
は爬虫類だってこと。
 銃があったら、ぜったい撃ってたろう、
ニワトリの頭めがけて。そうでもしないと、
気がヘンになりそうなんだ。そのうちに喉
がカラカラになって、どこかで水を飲まな
くちゃと歩いていたら、坂の途中で馬にの
った男とすれ違った。ヒゲをはやして、口
には葉巻タバコ、帽子を目深にかぶってる。
でも、おかしなことに木で作ったオモチャ
みたいなライフル銃を持ってるんだ。でっ
かいシェパードが、従者みたいにピッタリ
離れないでいるのは、どうしてなんだろ
う?
 そのうちに、なんとか街道までたどりつ
いて、一軒の食堂みたいなところに入った
んだけど、ほんとうは水がほしかったけど、
かっこつけてテキーラ注文したら、テキー
ラにトマトジュースが付いてきた。なるほ
ど、これをチェーサーにしろってか。そし
たら、これがうまいのなんのって。テキー
ラって、水みたいに透きとおってるのに、
火みたいに燃えてる。竜舌蘭のおもかげも
ないし、色を塗りたくったような風景なん
か、これっぽちも思い出せない。
 それからどうしたっていうと、フラフラ
しながら、大きな屋敷の中に入り込んで、
そこにあった噴水の石盤の上に倒れ込んで
しまったという訳さ。冷たい石盤の上に仰
向けになったら、たれ下がって咲いている
赤い花にハチドリがクチバシを突っ込んで
る。そのハチドリの上には、メキシコの青
空。これじゃあ、八色の虹どころか、一滴
だって降りそうにない。■